岡山地方裁判所 昭和24年(ワ)154号 判決
原告 高浜卯右衛門
被告 関西汽船株式会社 外一名
一、主 文
原告の請求はこれを棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
二、事 実
原告訴訟代理人は「被告等は各自原告に対し金五十六万四千八百五円並に内金四十万円については昭和二十三年二月四日以降、内金十六万四千八百五円については昭和二十四年一月二十一日以降各完済に至るまで年五分の割合による金員を支払うことを命ずる。訴訟費用は被告等の負担とする。」との判決並に担保を条件とする仮執行の宣言を求め、その請求の原因として、
「原告はその所有する機附帆船天神丸(総屯数約四十六屯、鑑札面上十九屯七十七満載積屯数約百屯)の船長として同船に塔乗し、燐鉱石七十六屯を積載し、神戸港より兵庫県家島港経由岡山県神島港に航行の途中昭和二十三年一月三十日午後三時三十分頃岡山県下津井瀬戸久須見鼻燈標附近に於て被告関西汽船株式会社が所有し被告万城国一が船長として執職していた第二備讚丸(総屯数八十三屯五)に衝突した。当日天神丸は午前五時頃家島港を発して西航し釜島東端附近より岡山県下津井町久須見鼻東端に向け専ら機力を用い時速三、五浬で北上し、久須見鼻を約三十間に接近して左転したがその直前第二備讚丸が陸岸沿ひに南下中であるのを発見し同船が下津井港に向うものであることを認識した。天神丸は久須見鼻で左転後ワエ潮(西流)流域に入り距岸二十間位に接岸航行中第二備讚丸は天神丸後方久須見鼻にその姿を現わし来たりやがて相互間の距離約六間位になつたとき船首稍左転し天神丸の左舷側を高速力で追越す態勢に見えたので原告は機関長高浜博己に「もつとあらけろ」と大声を発し且挙動を以て警告させたところ同船は幾分船首を左転させた。その直後天神丸は右舵一杯にとつて(原告は燈標通過の際右舷船首を東流に叩かれて左転することを知つていたので)久須見鼻燈標に並航したがその瞬間予測通りに右舷船首を逆潮(東流)に叩かれて船首を激しく左方に圧流偏向され当時天神丸の左舷側を至近距離で追越そうとしていた第二備讚丸の右舷側船橋下直下外板に後方から約四点の角度で天神丸の左舷船首を突き当て衝突した。そして船首が左に圧流されてから衝突までの時間は約五秒の寸時で衝突地点は燈標寸前ワエ潮内であつた。本衝突は一に第二備讚丸が潮流複雑な前記地点において天神丸を至近距離に追越そうとした運航上の過失によるものである。天神丸は本衝突の結果左舷船首を破壊され浸水甚しく緊急措置として久須見燈標東方の砂地と見える地点に任意坐洲したが遂に沈没し積載貨物中約十六屯を救助したけれどもその後の干潮時に船体は折断され残存貨物とともに使用不能となつた。本衝突により原告は船体の喪失による損害金四十七万四千六百円(天神丸は船体、機械、属具を併せて当時時価金五十万円であつたが一万五千四百円相当の船具を救助し、訴外石田正義に運搬費用八千円を支払つた後、訴外北脇助市に金一万八千円で売却したのでこれを控除すると結局金四十七万四千六百円の損失となる)。重油八十罐(一罐十八立)流失により金八千円、燈油一罐流失により金一千二百円、米三斗(四十五瓩、一瓩公定価格金二十六円五十銭)流失により金千百九十二円五十銭、麦二斗(三十瓩、一瓩公定価格二十六円五十銭)流失により金七百九十五円の損失を被つたほか、燐鉱石の救助費用金二千五百円、救助燐鉱石の衝突現場から神島までの運搬費用金一万円水夫福田清一に対する解散手当金六千円(月給の二ケ月分)を要し且つ原告が昭和二十三年二月四日附書面で被告関西汽船株式会社に対し金四十万円の賠償請求をしたところ被告会社は本件衝突は原告の過失に基くもので被告には何等過失がない旨事実を歪曲して賠償請求を拒絶したので原告はやむなく証拠保全を社団法人日本海事検定協会に委嘱し、その鑑定料として金一万五百十八円、海難審判補佐及訴訟代理を海事専門家村井祿楼に委任しその確定に至るまでの著手金として金三万円、証拠保全のための同弁護士現場出張(二回)旅費として金二万円を夫々要したので結局原告の受けた損害額は合計金五十六万四千八百五円五十銭である。よつて被告万城国一は直接不法行為者として、被告関西汽船株式会社は第二備讚丸の船舶所有者として商法第六百九十条により、各自原告に対し前記損害額を賠償すべき義務があり、原告は内金四十万円については昭和二十三年二月四日付催告書により被告関西汽船株式会社に対して請求し同書面は同月二十三日迄に被告会社に到達し、又昭和二十四年一月十九日付催告書により被告会社に対し金六十万円の請求をなし同書面は同月二十日被告会社に送達されたが、被告等は原告の請求に応じなかつたので被告両名に対し、前記金五十六万四千八百五円の賠償並に内金四十万円に対しては昭和二十三年二月二十四日以降残額金十六万四千八百五円に対しては昭和二十四年一月二十一日以降完済に至るまで夫々年五分の割合による遅延損害金の支払を求めるため本訴に及んだ次第である。被告等の抗弁事実は否認する。」
と述べた。
被告両名訴訟代理人は主文同旨の判決を求め、答弁として「原告主張事実中、原告が天神丸の所有者であつて、同船の船長として運航していたこと、第二備讚丸が被告会社の所有で被告万城国一が船長として執職していたこと、岡山県下津井瀬戸で両船が衝突したこと、天神丸がその後坐洲し使用不能となつたことは認める。なお、本件衝突の日時は昭和二十三年一月三十日午後三時二十五分であるその余の原告主張事実はすべて否認する。第二備讚丸は当日午後三時田ノ口港を発し針路南微西で南下中三時二十二分少し前天神丸は二百五十米ばかりの距離でその船首を久須見鼻の方向に替つたのを認め、三時二十四分過久須見鼻東端を約三百米の距離で右転し、久須見鼻燈標の約東微南四百米の地点で船首を同燈標の沖合に向け針路西二分ノ一北として東流に抗して進航中天神丸が燈標附近からその船首を左転し全速力で東流に乗つて船首を回頭しつつ原針路から約十三点左転し全速力で第二備讚丸の右舷側に進行して来たので第二備讚丸は機関を停止して激左転の措置を講じたが間に合はず第二備讚丸の右舷側に前方から直角に近い鋭角で天神丸の船首が衝突し同船の左舷側と第二備讚丸の左舷側とが行き違の方向に擦過して離れたのであつて衝突地点は久須見鼻燈標南東方約二百五十米の地点で東流の中である。燈標附近で東流を乗り切るには右舵を保持して行くべきであつて一旦、東流に圧流されて左転するが間もなく右舵がきいて原針路に復するのであるが、前叙の天神丸の進行から判断すると同船は操舵を過つて左舵をとつたものと認めるべきである。すなわち本件衝突は原告の運航上の過失によるものであつて、被告万城にはなんら過失がない。仮りに衝突につき被告万城に過失があつたとしても天神丸が使用不能になつたのは原告の過失によるものである。被告万城は天神丸が坐洲した後、積荷全部を搬出するように原告に忠告したのに原告は同被告の忠告に従わないで積荷約十六屯を搬出したのみで残存積荷をそのままに放置したため同船は残存貨物の荷重によつて干潮と同時に船体が折断したのであるから右折断と本件衝突との間に因果関係はない。又衝突と船体の折断との間に因果関係があるとしても原告には前記の通り本件損害の発生につき過失があるから損害額の算定については右原告の過失を斟酌すべきである。」と述べた。
<立証省略>
三、理 由
天神丸が原告の所有に属し、昭和二十三年一月三十日燐鉱石約七十六屯を積載して兵庫県家島港から岡山県神島港へ向け航行の途中岡山県下津井町久須見鼻附近で被告関西汽船株式会社所有の第二備讚丸と衝突し、天神丸は浸水甚しきため任意坐洲したがその後干潮時に船体折断され使用不能となつたこと、当時天神丸には原告が、第二備讚丸には被告万城国一が夫々船長として執職していたことは当事者間に争がなく、その衝突の時刻が午後三時二十五分であつたことは成立につき争のない甲第九号証中被告万城本人の供述記載によつて認めることができる。
証人富永広の証言によつて真正に成立したと認められる甲第一号証並に成立につき争のない甲第二号証乃至甲第七号証、甲第九号証、甲第十号証並に甲第十二号証と証人高浜博己の証言及び原告本人訊問の結果並に被告万城本人訊問の結果を綜合すれば、天神丸は鑑札面上は総屯数十九屯七十七であるが重量屯数七十六屯、船長二十七米、船幅六米、無注水式焼玉発動機公称馬力三十馬力一箇を有し、時速約三・五浬船齢十九年の木造機附帆船で操舵器は二間位の長い舵柄にナークルをつけてロープで引張る仕組になつていたこと、当時吃水船首七尺位、船尾六尺五寸位の「おもてあし」で、家島港出帆後日比瀬戸を経て釜島東端に至りそこから機力を用いて北上し久須見鼻東端を右舷約二十間位に通過して針路を西に転じ下津井海岸を約二十間の間隔に沿ひワエ潮(時速一浬強の西流)に乗じて進み同鼻燈標を右舷約三間に並航して東流(時速約三・五浬)進入した瞬間同潮流に右舷船首を激しく叩かれて左転したこと、第二備讚丸は総屯数八十三屯五、船長二十二米八十六、船幅四米八十八時速七浬四分ノ三の鋼鉄船で被告関西汽船株式会社が田ノ口、下津井、丸亀間の定期航路に客船として使用しているものであつて当日午後三時旅客十五名を載せて船首一米船尾二米の吃水で田ノ口港を発し時速七浬四分ノ三の全速力で陸岸沿ひに南下し天神丸より稍後れて久須見鼻東端を西転し同鼻燈標沖合に向け進行の途中天神丸と衝突したこと、当時天候は晴で殆んど風なく潮流は東流のほぼ中央期で流速は一時間約三・五浬であつたことが明らかである。
当裁判所検証の結果(第一、第二回)並に甲第一号証によると同様の潮流の下に於ける久須見鼻燈標附近の潮流は極めて複雑で、東流は略松島及び釜島の北岸を連ねる線に沿ひ水道間近の水域はその外側に比し幾分弱くそれから水道中央に至る間が最も強く、燈標より東南東方にのびる二派の渦流があつて、北側分流は燈標から十間余で消滅するが南側分流は水道中央南側に達する円形の波紋及び激湍があり又久須見鼻東端には沖合七八十間に及ぶワエ潮があり一時間一浬強の流速で西流し久須見鼻南端に近づくに従つて流幅及流速共に減少し燈標北側分流末端より南北両分流の間に流入して消滅することが認められる。
次に衝突地点について検討するに甲第九号証中難波虎市並に桐山恂一の各供述記載を綜合すると天神丸が燈標附近で東流に船首を叩かれ左転したとき第二備讚丸は天神丸の左舷後方約百二十米に平行して略西向し同船を右舷船首前方四十五度に見る位置にあり、その後約十五秒で両船が衝突したものと認定するのが相当である。従つて第二備讚丸と天神丸の間隔及び距離はともに約八十五米あつたものと認める。又甲第九号証中難波虎市の「天神丸は一時ハネられて次に中へ引込まれて三段目に外へハネられた」旨の供述記載並に証人高浜博己の「天神丸は本流に入つて四点位はねられ第二備讚丸と衝突した」旨の証言及び証人今井ミツヱの「備讚丸が本流に出ようと曲ろうとしたとき天神丸が急に備讚丸の右舷に出てきた」旨の証言と甲第一号証の記載とを照合すると天神丸は燈標附近で北側分流にはねられ次いで南側分流にはねられつつ同分流中を押し流され第二備讚丸が船首を稍右転して東流に進入した直後に於てこれと衝突したものであることが認められる。従つて本件衝突地点は南側分流中のワエ潮に接する境界線附近であると認めざるを得ない。第二備讚丸が前示天神丸の船首がはねられその左転を見てから衝突する迄の時間は約十五秒でこの間に第二備讚丸はワエ潮から南側分流に進入したのであるがすでにワエ潮も末端附近で流速の衰えていることを考慮し計算の便宜上平水時速でその間の進行距離を計算すると第二備讚丸はこの十五秒間に約七十米西へ進行したことになる(実際にはこの十五秒間中の何分の一かは東流中の時間であるのでこれよりも少い数字となることは当然である)。天神丸が最初に潮にはねられた地点をA点そのときの第二備讚丸の進行地点をB点A点から南に向う直線とB点から西に向う直線の交点をC点、B点から第二備讚丸が十五秒西に進行した地点をD点(すなわち衝突地点)として図示すれば別紙図面の通りである。
しかるところA、D間の距離は八十六米であつて天神丸は燈標附近で左転すると共にADの線上を南微東に約八十六米押し流され第二備讚丸と衝突するに至つたことが推認できる。
なお甲第四号証及び甲第九号証中難波虎市、桐山恂一の各供述記載証人今井ミツヱの証言及び甲第九号証並に甲第十二号証中の被告万城本人の各供述記載を綜合すると天神丸は潮にはねられて船首を約九十度以上左回転しその船首を第二備讚丸の右舷側に対し前方から直角より稍狭い鋭角度で進行し来たり、第二備讚丸において激左転の措置を講じ機関を停止したが間に合はず同船の右舷側にほぼ直角に衝突したことが認められる。すなわち前示図示に於て天神丸は従前の西方から船首をADの方向に左回転させ船首の方向に向つて進行したことになる。而して天神丸の船の長さが二十七米であることを考慮するとこの間の天神丸の進行距離は五十九米である。
以上認定した事実を要約すれば天神丸は久須見鼻燈標附近至近のところで先ず北側分流に右舷船首を左にはねられついで南側分流に進入して更に左転し従前の進行方向である西向から約九十度以上船首を左回転させて南微東に約十五秒、約五十九米進行し、同船が最初潮にはねられた当時同船の右舷側後方を約八十五米の間隔と距離で同じく西進し、その直後頃船首を稍右転させて南側分流に進入し同分流中を進航していた第二備讚丸の右舷側に対し前方から直角に近い鋭角度で接近し、第二備讚丸は衝突の危険を感じて激左転の措置を講じたが及ばず同船の右舷側中央附近に略直角の角度で天神丸の船首を激突させたものである。
証人高浜博己の証言並に原告本人訊問の結果、被告万城本人訊問の結果及び甲第二号証甲第三号証、甲第五号証並に甲第九号証中の原告本人及び被告万城本人の供述記載、甲第十二号証中被告万城本人の供述記載中前記認定に反する各部分はいずれも措信し難く他に右認定を左右するに足る証拠は存在しない。よつて本件衝突がワエ潮内で起り天神丸が潮にはねられて四、五点左方に圧流偏向された瞬間同船の左舷側を至近距離で追越そうとした第二備讚丸の右舷側に後方から四点の角度で衝突した旨の原告主張は採用することができない。
次に本件衝突が被告万城の過失によるものであるか否かを検討する。
当裁判所検証の結果(第一回)によると本件と同様の潮流の下で久須見鼻燈標附近で天神丸と同様の時速三・五浬で磁針四で東流に進入するに際し方舵正直のときは船首に変化なく船は殆んど静止状態にあるに反し、右舵をとつたときは東流に出るとき船首が左に約十五度乃至二十度叩かれるがすぐ右舵が作用してもとの進行方向に復する。左舵にとつたときは船首はぐつと左に殆んど百八十度に回転して東方に約二、三百米流されることが認められる。然るに甲第一号証の記載によると大部分の機帆船は同箇所に於て右舵をとるに拘らず先ず北側分流によつて右舷船首を二点程左にはねられ次で南側分流に進入して更に二、三点はねられ当初の方角から、四、五点左転した角度を保ちつつ燈標と松島、又は大裸島を結ぶ一線上水道のほぼ中央附近に押し流されて針路を回復するのを通常とすることが認められる。
本件衝突の場合に天神丸が甲第一号証記載の如き流され方をしたと仮定するならば東流の時速は約三・五浬で船首左転後衝突迄の時間は約十五秒間であるからその間に潮流に流される距離は約三十二米弱であり、天神丸は船首を約四点乃至五点(約四十五度乃至約六十度)左転させて南方に流されるのであるから、船首を六十度左転させて流されるものと仮定し別紙図面に於て直線ACに対し東側六十度の直線上三十二米南方の点をE点としE点を通るA、Bに対する垂線が直線AB、直線ACと交る点を夫々F、Gとし直線E、F、G上E点から三十二米西の点をHとしAHを連らねる直線がBCと交わる点をI点とするならば天神丸は船首左転後十五秒後にはE、F、H、Gを連ねる直線上又はその北側にあつてその南側にはないことが明らかである。(東流の方向をAEの方向であると仮定すれば、天神丸の時速、潮流共に時速約三・五浬であるから同船が約四十五度左転させつつ押流されたとすれば天神丸はA、Hの方向に流され左転後十五秒後にはH点にあつたことになる。尤も東流の方向をAEの方向と仮定したのはこの仮定の場合に東流三・五浬船首六十度左転の十五秒後に於ける船の位置の軌跡が最も南寄りになるからであつて東流の方向がAEと異る場合には十五秒後の船の位置の軌跡はいずれの場合もE、F、H、Gの北側にこれと併行して走ることとなる)。AG間の距離はAF間の距離(三十二米)の二倍すなわち六十四米であり、AC間の距離は八十五米であるからGC間の距離は約二十一米であり、AH間の距離は四十五米弱である。
AH==米=45米弱
従つてHI間の距離はA、C間の距離である八十五米からAH間の距離四十五米を差引いた距離四十米より大であることも明らかである。DH間の距離は概ね四十米前後であると考えられる。
すなわち天神丸が衝突当時甲第一号証記載の如き流され方をしたと仮定するならば、天神丸左転後十五秒の位置は第二備讚丸の位置すなわちD点まで約二十一米乃至約四十米の距離があることとなり衝突は起り得ない。本件に於て天神丸がAD線上を五十九米も進行したのは同船が甲第一号証記載の各機帆船の如く船首を約四十五度乃至六十度左転させつつ押し流されたものではなく船首を九十度以上左転させてADの方向に向け天神丸の平水時速に東流の速力が加つて約七浬の時速で進航したためであると判断される(時速七浬の十五秒間に於ける進行距離は約六十三米である)のである。
而して前顕検証の結果(第一回)並に甲第一号証の記載を綜合すれば、本件の如き潮流の下に於ける久須見燈標附近の機帆船の航法は東流進入に際し、右舵をとり、船首を東流に叩かれて四、五点左転させたまま南方に押し流されつつ針路を回復するのを通常とし、前記認定の如き天神丸の進行はかかる潮流のもとでは通常予想し得ないものであることが明らかであると謂わなければならない。
果して然らば本件衝突の原因は第二備讚丸が天神丸は通常の押し流され方をするものと予想し四十米前後乃至二十一米の間隔で同船を追越す見透しのもとに進航していたところ天神丸が船首左転後約十五秒の間に前記認定の如く予想外の方向転換をして第二備讚丸の進行方向に船首を向けて進航して来たことにあるものというべく、第二備讚丸としては右方向転換を全然予期せず又通常予期することを得ない状況であつたので当時これを回避する余裕は全くなく且つ直ちに機関を停止し激左転の措置を講ずる等衝突回避のため最善の努力を尽したがこれが発効せず、前示の通り衝突したことを認めるに足りるから当時第二備讚丸の船長として被告万城がとつた措置には別段責むべき過失はなかつたものと謂うべきである。
従つて被告万城の運航上の過失を前提とする原告の本訴請求は爾余の判断を俟つまでもなくすでに失当であつて棄却を免れない。
よつて訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用し主文の通り判決する。
(裁判官 三関幸太郎)
図<省略>